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花いちもんめ

花いちもんめの花は「紅花」説。

 

 

山形県白鷹町公式サイトより
“3000輪で紅花一匁(はないちもんめ)“とは、わずか3.75g(一匁)を採取するために約300輪もの紅花が必要だという、いかに紅花が貴重品であるかを言い表しています。
http://www.sgic.jp/test1/natu_benibana/index.html

 

【山形が舞台の浅見光彦のドラマで流れてたバージョン】
ふるさと求めて花いちもんめ
もんめもんめ 花いちもんめ

 

【千葉県大網】
勝ってうれしい 花いちもんめ
負けてくやしい 花いちもんめ
隣のおばさんちょいと来ておくれ
鬼がいるから行かれない
お布団かぶってちょいと来ておくれ
お布団びりびり行かれない
お釜かぶってちょいと来ておくれ
お釜底抜け行かれない
あの子が欲しい この子が欲しい
あの子じゃわからん この子じゃわからん
相談しよう そうしよう

 

【神戸西地区バージョン】
勝ってうれしい 花いちもんめ
負けて悔しい 花いちもんめ
どの子が欲しい
あの子が欲しい
あの子じゃわからん 名を呼んでおくれ
相談しよう
そうしよう

*わからん、、、と言うのが関西発なような気がします

 

【大阪・堺】
たんす長持ち どの子が欲しい
あの子が欲しい
あの子じゃわからん
相談しましょ
そうしましょ

 

花いちもんめ YouTube

 

【大阪・夕陽ケ丘高校女子】
勝ってうれしい花いちもんめ
負けてくやしい花いちもんめ
たんす長持ち どの子が欲しい
どの子じゃわからん
相談しましょ
そうしましょ
べ〜〜〜〜っ!!

 

花いちもんめ YouTube

更新日:2015年5月11日

数え歌

2012年度宝塚市民カレッジ受講生から、小さい頃に歌っていた数え歌を教えてもらいました。

 

①いちれつ談判 破裂して

②日露戦争始まった

③サッサと逃げるはロシアの兵

④死ぬまで尽くすは日本の兵

⑤五万の兵を引き連れて

⑥六人のこして皆殺し

⑦七月八日の戦いは

⑧ハルピンまでも攻め入れて

⑨クロポトキンの首を取り

⑩東郷元師 万々歳!

 

 

更新日:2013年6月8日

いのじいっさいこく

いのじいっさいこくいんじゅうじ
いららんがいっさいこく
いっさいだるまのだるまのこ
いっさらばっさらいのじが
いんぎりまめじゅうさんだいしきもんめ
さんだいし

 

京都の80代女性に教えてもらったわらべうた

更新日:2013年3月14日

夕日

 作詞:葛原(くずはら)しげる 作曲:室崎琴月(むろざききんげつ)

著作権保護期間中なので詩は載せませんが、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む ぎんぎんぎらぎら日が沈む」の『夕日』です。
最初「きんきんきらきら」で作られたのですが、作詞家の葛原しげるさんの小二の長女に「夕日は『ぎんぎんぎらぎら』でしょう」と言われて変更したとか。ぎんぎんぎらぎらの方が確かに強い生命力を感じますね。

「真っ赤っ赤っ赤 サルのケツ みんなのおケツも真っ赤っ赤〜♪」
と、私が小学校の頃、男子生徒はいつも夕方になると、この歌を歌っておりました。(失礼)

■葛原しげる(1886~1961)
広島県安那郡八尋村(現在の広島県福山市神辺町八尋)に生まれ、盲目の琴の名手、葛原勾当の孫に当たります。
講師として教壇に立ち、一貫して教育活動にあたり、地元の人たちからは、「ニコピン先生」と呼ばれ親しまれていました。これは、子供はいつもニコニコピンピンと願い、自らもそうありたいと願っていたからだという。
教育者であるかたわら、童謡詩人としても知られ、作詞した童謡は、4000篇とも言われ、そのうちの代表作の一つ「夕日」は、葛原しげるの生家(葛原勾当旧宅)前に、童謡歌碑としてたたえられています。また、他の代表作に「とんび」「白兎」等があります。また、全国約400校の校歌の作詞も手がけていることも広く知られています。
葛原しげるの命日である12月7日になると生家(葛原勾当旧宅)の前にて、「ニコピン忌」がおこなわれ元気な子供たちの童謡の合唱で音楽の歴史に名を刻んだ葛原しげるの功績をたたえています。
(神辺町観光協会ホームページより)

 

■室崎琴月

音楽家、作曲家。明治24 年(1891)2月20日高岡市木舟町の太物(綿糸)商の二男として生まれ、4人兄妹の末子として育った。高校卒業後親の反対を押し切って上京。大正2年(1913)東京音楽学校(現東京芸術大学)本科ピアノ科へ入学。 大正6年に音楽学校卒業後、東京谷中に私立の音楽学校の草分けとも言える中央音楽学校を設立。

大正10 年偶然書店で見つけた児童雑誌「白鳩」に載っていた広島県の童謡詩人・葛原しげるの詩「夕日」に感激し、曲をつけた。琴月は、谷中の高台から本郷台の綺麗な景色を眺めながら、郷里高岡の古城公園から眺めた美しい夕日の情景を思い起こし曲想を練り、同年中に一気に書き上げたという。

更新日:2013年3月12日

花火 井上赳/下総皖一

昭和16(1941)年3月『うたのほん(下)』にて発表。日本の夏の風物詩「花火」の歌。
「どんと鳴った花火だ きれいだな〜」の「どん」がまるで本当に打上ってるように歌えて人気があったのではないでしょうか。
夏の童謡サロンでもおなじみの曲ですね。
今ではあまり歌われていないと思いきや、河口湖音楽祭で保育園で演奏した時は子どもたちの割れんばかりの大合唱になってビックリしました。先生が教えておられるか、どうかだけなんですね。

 

■下総皖一(しもおさかんいち)作曲。
1898年3月31日 – 1962年7月8日
埼玉県北埼玉郡原道村砂原(現・加須市)生まれ。

昭和7年、文部省在外研究員としてベルリンの国立ホッホシューレに留学。ドイツではヒンデミットに師事、近代的作曲法を学ぶ。
童謡の代表曲は「はなび」「たなばたさま」「電車ごっこ」「母の歌」「野菊」「スキー」「ほたる」など。
童謡に限らず合唱曲、器楽曲、協奏曲や校歌、地元では音頭なども作曲し、生涯で作曲した曲は3千余を数えるという。
昭和17年、東京音楽学校教授、31年東京芸術大学音楽部長、昭和37年、胆石、肝臓ガン、肝硬変の悪化で他界。

 

■井上 赳(いのうえたけし)作詞。
1889年7月23日 – 1965年7月20日
1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった島根県出身の文部官僚。

 

(著作権保護期間)

更新日:2013年3月10日

椰子の実 島崎藤村/大中寅二

名も知らぬ 遠き島より

流れ寄る 椰子の実一つ

故郷の 岸を離れて
汝はそも 波に幾月
 
旧の樹は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕
ひとり身の 浮寝の旅ぞ
 
実をとりて 胸にあつれば
新たなり 流離の憂い
海の日の 沈むを見れば
たぎり落つ 異郷の涙
 
思いやる 八重の汐々
いずれの日にか 国に帰らん

昭和11年(1936年)12月、東海林太郎の歌でポリドールよりレコード発売。
1898年(明治31年)夏。東京帝国大学2年だった柳田國男が愛知県の伊良湖岬 (いらごみさき)に滞在した際、海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた。
「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した。」

柳田國男「海上の道」

本日休演

(作曲は著作権保護期間)

更新日:2013年3月10日